セラピストにむけた情報発信



高齢者による動的物体知覚と衝突予測-Andersen et al. 2008



2009年10月19日

高齢者による自動車事故のニュースがおきるたびに,加齢による運転能力低下の問題が指摘されます.本日ご紹介する論文では,事故に関連しうる知覚的問題として,運転中に自分に近づいて物体が衝突するかどうかを予測する能力が低下することが報告されています.この予測能力には,動的物体知覚ともいうべき,動いている視覚情報に対する時空間的変化の知覚が関与しています.

Andersen et al. Aging and the detection of observer and moving object collisions. Psychol Aging 21, 74-85, 2006.

実験はバーチャルリアリティ空間において運転中の映像を模した状況でおこなわれました(ゲームセンターにおける運転ゲームの映像をご想像ください).物体が等速度でかつ直線的に向かってくるという,比較的単純な刺激を利用して,その物体が自分と衝突するかどうかを正確に予測するという課題をおこないました.4つの実験により,物体の移動速度や呈示時間,また自分は静止して物体が向かってくる条件や,自分が前進している最中に物体が向かってくる条件(すなわち自動運転場面と同じ条件)など,様々な状況でテストしました.

平均70.7歳の高齢者11名の成績を,平均21.6歳の若齢者の成績と比較しました.その結果,高齢者が若齢者よりも予測が難しくなる刺激の条件が明らかになりました.まず,刺激がゆっくりと近づいてくる条件(物体が自分に到達するまでの所要時間<Time-to-contact>が長い時)で,高齢者の成績が若齢者に比べて予測が低下しました.またこの傾向は,刺激の呈示時間が短い時に顕著に生じることがわかりました.さらに,自分が前進している条件では,高齢者の予測成績は低く.特に前進速度が時速60マイル(時速96キロ)と早い条件での成績低下が目立ちました.

自分が静止して物体が向かってくる場合でも,物体が静止して自分が向かってくる場合でも,その速度が同じであれば,接近に伴う物体の視覚的拡大率(物体の見え方の変化)は同じです.従って,この拡大率を正確に知覚して衝突予測をすれば,どちらの状況でも物体との衝突を安全に回避できます.しかし自分も物体も同時に動く条件では,自分が移動することにより生じる視覚的変化と,物体が移動することにより生じる視覚的変化を分離する能力が求められます.今回の実験結果から,高齢者はこの能力が低下していると考えられます.

特に,自分が時速96キロと高速で移動し,かつ刺激がゆっくりと近づいてくる条件での成績が特に低下していることから,高速道路を運転中に,車間距離が徐々に近づいてくるような場面では,高齢者の衝突危険性が高くなるのかもしれません.

「自分も物体も同時に動く条件で,障害物との衝突を避ける」能力が必要なのは,自動車運転中だけでなく,歩行中でも同じです.日常空間で安全に歩行をするためのリハビリテーションを考えるとき,単に歩行のための運動機能を回復させるだけでなく,歩行空間を安全に知覚し,適切な行動を選択する一連の知覚運動制御過程についても,一定のレベルまで回復させることが必要です.

動的物体知覚の能力が訓練できることは,脳卒中片麻痺患者を対象とした研究で,一部その可能性が指摘されています(過去のページをご参照ください).しかしその方法論がバーチャルリアリティ空間での検証に限られているほか,本当に長期的な訓練でその能力が一定レベルにまで向上するかについては,全くの未知数です.今後の努力により,簡便な方法で動的知覚能力を訓練する方法を模索することが重要であろうと思います.



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